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2025年04月26日

旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設

あれから二年も経つのか・・
いまは2025年4月。  針尾を訪れたのは2023年4月だ。
もう30年もサラリーマン生活を続けてるのか、などと勝手に記念碑的に
休みを取って、ちょっと遠出をした。という話。
あぁ、早く定年になって毎日こんな生活をしたい・・なんて思っていたら
定年が65才まで延長になってしまった。トホホ感は有るものの、
そんな贅沢なことを言ってはいけない。世の中サラリーマンばかりでは
ない。植木等じゃないが、やっぱり・・・
「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」 だな。

ま、そんなことはさておき、この日はあいにくの雨だった。
象徴的な景色を前に、感動しておるところであるよ。
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こんな感じで駐車場に入って来た・・・と思う。
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場所はこんな感じ
300mの正三角形の周囲に道がある。
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電信塔は、現地では無線塔と書かれていた。
第一〜三まで、このような配置だ。
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雨だし、平日だし、とはいえ、先客は2台。
まぁどう見ても観光客ではないと思われる。

国指定重要文化財(建造物) だ
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雨傘と半長靴の、所謂いつものスタイルで出発。
たとえば、今歩いている、この通路ですら、掘り起こせば
当時の道の構成が見ることができるそうだ。
施設の一部なので、遺構として保存されている。
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現地には、「国重要文化財 1号無線塔」と書かれていた。
昔の写真を見ると、てっぺんに三角形の鉄骨のようなのが
見られるが、昭和の時代に撤去されている。
これが大正11年に竣工、というのも驚きであるよ。
塔の表面に劣化が見られない、とのことで最高品質の
コンクリートと施工と、技術であった証である。
末永く残ってもらいたいものだ。
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いつもの如く隙間撮り。ウインチが見えている。
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これも国重要文化財 油庫。
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また、このあたりにはトロッコ軌道が有ったらしい。
ここから小鯛浦まで軌道が有ったのだ。
ここ針尾島までの行き来は、当時は海路しか無かったのだ。
だから資材は小鯛浦岸壁からトロッコで運んでいたというわけだ。
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当時の入口はここである。この先が海の方向だ。
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とても良い雰囲気。
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鉱山にしてもそうなのだが、この感じ、私の好きなアプローチ
である。
左の建物は門衛所だが、当時のものではなく、復元である。
現在は案内所となっている。
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国重要文化財 旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設 とある。
指定日は2013年3月6日
指定物件は、無線塔3基、電信室1棟、油庫1棟、附・見張所1基、土地44285.74m2
戦争の暗い歴史の中、様々種々の意見が有るが、私はこういった施設は好きで
あるし、国重要文化財として残っていってもらいたいと願っている。
そしてラジオ大好き人間としても、ここ、アンテナの歴史としてもとても短期間
であった長波の貴重な施設であることも相まって、残ってもらいたいと思って
いるのだ。
という具合に、「私」の願いを述べたが、現在の情報社会の中に、君程度の
○○大好き人間など、ゴマンと居るよ、と、違う論点でケチをつけられそうだ
からこれくらいにしておこう。
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続いては3号無線塔への通路。こちらも当時の遺構として通行制限の上
保存されている。
以前の発掘調査では電線を埋めるための溝が残っていることがわかった
そうだ。
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3号無線塔だ。こちらは塔の中も見学できるようになっている。
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では中へ
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現在、中に残っているのは、アンテナケーブルの振動を吸収する重錘と
ケーブル維持管理用のウインチ。
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登っていきたい衝動は、もちろん抑える。
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3号無線塔の外は、とても景色が良い。
しかしながら無線塔は軍事機密にあたり、みんなが入って来られては
困る。なので・・・
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なので附・見張所(つけたり みはりしょ)が有る。
これも大正12年頃の竣工というから、かなり古いものだ。
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ではもと来た道を戻る。
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現在のところ開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」は
千葉県船橋市の海軍無線電信所船橋送信所から発信された、というのが有力説
だが、ここから発信という説も有るのだ。
意味は、言わずと知れた「12月8日に真珠湾攻撃を開始せよ」である。
この写真の事務所及び兵舎跡の先、3基の無線塔がおりなす300mの正三角形の
中心地に電信室があり、そこが見学できることがわかったので行ってみることにした。
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現在の針尾送信所と書かれた建物の向かい側がその入口になる。
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カラフルなヘルメットが出迎えてくれるが、本日は貸し切り
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見学時の注意事項があるが、
貸し切り故に、他の見学者への配慮不要であり、気楽なものであった。
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中には往時の写真なのか、撤去時の写真なのか、いくつかの
興味深いのが有った。貼っておく。
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引き続いて、中を見学
いっぱい写真を貼りたいが、キリが無いので適当に。。。
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とりわけ大きい機械室が登場。吹き抜けになっていて天井はアーチだ。
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クレーンが走るようになっているが、手動式なのだそうだ。
床には発電機の基礎があり、世界でたった5基しか製造されなかった
アレクサンダーソン型高周波発電機が設置されていた、とのこと。
きっとあの人に聞いてみたらわかりやすい説明をくれるに違いない。
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倉庫のようなのもたくさん有り、こちらだけは壁にレンガが貼られている。
この部屋だけは劣化が激しく、二次電池に使用される硫酸を保管して
いたのだそうだ。揮発性の高い硫酸のガスによるものだろう。
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外に出て来た。現在地の足元は当時の2階の床面部分の高さとなっている。
現地の看板には、「アーチ状の屋根構造が造られていて、この上に砂と
土砂を乗せて、爆発の衝撃を吸収する耐爆構造となっている。」とある。
そして、「電信室の荷重軽減と水の侵入防止のために、撤去した屋根の上の
大量の土砂で電信室の前面が2階まで埋まっている状態」とある。
別の看板には「昭和19年に太平洋戦争が激しくなって、爆弾対策に埋められた」
とも書かれている。
それぞれの記載は理解できるが、それぞれ、意味と意図が違っていて、
結局、正しく理解することはできなかった。
でもまぁ、気にせず行こう。とりあえず写真をいくつか貼っておく。
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結局初めから終わりまで貸し切り。そして、第二号無線塔は立入禁止
とのことで行かず。
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一魚一会というところで昼飯食った。
どう、これ?  とても旨かったし、予想以上の迫力^^
あはは。  また行きたいな。(←一魚一会のことね)
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posted by Shimneti at 20:33| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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