探索に出かけた。
板屋九郎兵衛の墓〜大畔の坑道〜お菊の墓 あたりをうろついた。
まずは板屋九郎兵衛から。


説明の看板が有る。この看板を見ても、また、その他
で見る逸話を見ても、どうしても、この九郎兵衛、同情
できないな、と思ってしまうのだが、まぁとにかく、お参り
をしておいた。
看板の全文
板屋九郎兵衛
板屋九郎兵衛は、本名玉置九郎兵衛と言い板屋村に
生まれ、今から三三〇年前に実在した人物です。
九郎兵衛は板屋の庄屋を務めており、親分肌の男で
義理人情にも厚く、地域では大変人望があり、当時、
度々発生した山や採草地の境界争いに仲介の労をとって
事を納めたそうです。
この九郎兵衛が『お菊』という絶世の美女を嫁に迎え
幾年か楽しい毎日を過ごしたわけですが、九郎兵衛の
勘違いで妻を殺してしまったことから、入定(生きたまま
墓穴にはいること)の決心をして村人に見送られ塚穴に
入ったとして伝えられています。
九郎兵衛のお墓は現在もここにあり、このお墓にさわる
と、一度は必ず願い事が叶うとつたあえられており、今も
板屋の人達の手で守られています。
九郎兵衛のお墓は市の文化財の史跡に指定されて
います。

これらの説明看板を、引きて撮ったところ。
この左の小山に眠っている。

もっと引きの写真。



階段を数十段登れば到着。



玉置九郎兵衛 と書かれていた。

さらにこの先に登ってみると、

私有地だったから退散。

大畔ひのある鉱物の層の周辺を見ながら、お菊の墓にも
立ち寄った。

水処理設備の前に到着。

振り返ると、渡ってきた橋が見える。

迷惑駐車をかましているように見えるが、実際は誰の
迷惑にもなっていない。
ちょっと歩いて散策。

橋の袂まで降りてきた。

頑丈そうな橋だ。


頑丈そうな橋ではあるけど、いろいろ有りました
という顔つきをしておる。


鉱山の施設なのか、コンクリの施設なのか、そういうのが
有る。中を見たら、ホッパーだった。





ホッパーの口がある。



先ほどの水処理までもどって、ちょっと散策。

現役設備だから、外から少々見れる範囲で。って当たり前やな。
敷地には入っておる。


本心的にはこの奥地を見たいのだが、目的地への脱線も
いいとこだから、見送り。



藤の花ロードは、桜できれいだった。
ピークは過ぎているとはいえ、こんなシーズンに来たことは
なかった。
これを、誰も居ない中、独り占めできて有り難い。
とても良い気分になれた。


空き地があると出張ってくる太陽光発電。
ここにも。一時たくさん有った貯木も無くなっていた。

ここでっちょっと上からの写真も確認。
赤の矢印の先が、今いる空き地だが、矢印そのものの
真下あたりが、目的地のお菊の墓の有る場所だ。
矢印をかぶせるな、という話やな^^

国土地理院で見てみる。
2013年(左端ちょっと2017年)

1974年〜1978年

脱線しまくりだけど、やっとお菊の墓の入口・・
と思ったけど、もう右に何か見えている。

どうよ、これ。


当然入ることはできない。

しかし、奥へと続いている。

このすぐ上には、慰霊塔がある。

裏側には石原産業株式会社 紀州鉱山とあった。

道中には神社も出てきた。

とにかく手の入った山である。当たり前か。

深く水路が切ってある。

ゴルフ場のような広っぱに出てきた。


ようやく真面目に看板の場所まで戻って、お墓を目指す。


これがそれ。え?どれ?
・・やっぱり何か可哀想な気がしてならない。
勝負の前には触れるとよいのだそうな。


