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2023年09月03日

紀州鉱山 板屋九郎兵衛の墓〜お菊の墓

新型コロナの侵攻進むさ中の2020年4月に、紀州鉱山の周辺
探索に出かけた。
板屋九郎兵衛の墓〜大畔の坑道〜お菊の墓 あたりをうろついた。

まずは板屋九郎兵衛から。
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説明の看板が有る。この看板を見ても、また、その他
で見る逸話を見ても、どうしても、この九郎兵衛、同情
できないな、と思ってしまうのだが、まぁとにかく、お参り
をしておいた。


看板の全文
板屋九郎兵衛
 板屋九郎兵衛は、本名玉置九郎兵衛と言い板屋村に
生まれ、今から三三〇年前に実在した人物です。
 九郎兵衛は板屋の庄屋を務めており、親分肌の男で
義理人情にも厚く、地域では大変人望があり、当時、
度々発生した山や採草地の境界争いに仲介の労をとって
事を納めたそうです。
 この九郎兵衛が『お菊』という絶世の美女を嫁に迎え
幾年か楽しい毎日を過ごしたわけですが、九郎兵衛の
勘違いで妻を殺してしまったことから、入定(生きたまま
墓穴にはいること)の決心をして村人に見送られ塚穴に
入ったとして伝えられています。
 九郎兵衛のお墓は現在もここにあり、このお墓にさわる
と、一度は必ず願い事が叶うとつたあえられており、今も
板屋の人達の手で守られています。
 九郎兵衛のお墓は市の文化財の史跡に指定されて
います。
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これらの説明看板を、引きて撮ったところ。
この左の小山に眠っている。
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もっと引きの写真。
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階段を数十段登れば到着。
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玉置九郎兵衛 と書かれていた。
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さらにこの先に登ってみると、
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私有地だったから退散。
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大畔ひのある鉱物の層の周辺を見ながら、お菊の墓にも
立ち寄った。
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水処理設備の前に到着。
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振り返ると、渡ってきた橋が見える。
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迷惑駐車をかましているように見えるが、実際は誰の
迷惑にもなっていない。
ちょっと歩いて散策。
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橋の袂まで降りてきた。
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頑丈そうな橋だ。
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頑丈そうな橋ではあるけど、いろいろ有りました
という顔つきをしておる。
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鉱山の施設なのか、コンクリの施設なのか、そういうのが
有る。中を見たら、ホッパーだった。
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ホッパーの口がある。
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先ほどの水処理までもどって、ちょっと散策。
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現役設備だから、外から少々見れる範囲で。って当たり前やな。
敷地には入っておる。
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本心的にはこの奥地を見たいのだが、目的地への脱線も
いいとこだから、見送り。
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藤の花ロードは、桜できれいだった。
ピークは過ぎているとはいえ、こんなシーズンに来たことは
なかった。
これを、誰も居ない中、独り占めできて有り難い。
とても良い気分になれた。
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空き地があると出張ってくる太陽光発電。
ここにも。一時たくさん有った貯木も無くなっていた。
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ここでっちょっと上からの写真も確認。
赤の矢印の先が、今いる空き地だが、矢印そのものの
真下あたりが、目的地のお菊の墓の有る場所だ。
矢印をかぶせるな、という話やな^^
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国土地理院で見てみる。
2013年(左端ちょっと2017年)
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1974年〜1978年
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脱線しまくりだけど、やっとお菊の墓の入口・・
と思ったけど、もう右に何か見えている。
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どうよ、これ。
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当然入ることはできない。
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しかし、奥へと続いている。
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このすぐ上には、慰霊塔がある。
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裏側には石原産業株式会社 紀州鉱山とあった。
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道中には神社も出てきた。
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とにかく手の入った山である。当たり前か。
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深く水路が切ってある。
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ゴルフ場のような広っぱに出てきた。
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ようやく真面目に看板の場所まで戻って、お墓を目指す。
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これがそれ。え?どれ?
・・やっぱり何か可哀想な気がしてならない。
勝負の前には触れるとよいのだそうな。
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posted by Shimneti at 01:21| Comment(2) | 鉱山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>ホッパー
日本土石(現岡本土石)紀和生コン工場は
90年代中盤〜後半頃に閉鎖しました

>水処理施設
その施設を見学する人はいませんね!!!(^^;)
紀和町地区は毎週水曜バキュームカーが出入りです。それ以外の曜日は不明
放流用の大腸菌殺菌用塩素タンクですね。タンクの手前に板を差して増水の被害から守るように見えますね

今年は小森ダムを4000t/s水が通過したので浸水したんじゃないですかね
橋は毎年増水で沈下するので護岸舗装がボロボロ…

なお紀和分署横の本物の鉱山の水処理施設とは繋がってないです


>この奥地
旧旧道のつり橋?の橋脚??


>太陽光パネル〜ゴルフ場
ゴルフ場地下の水抜き用トンネル
ゴルフ場自体が鉱石を比重選鉱し終えた後の大量の泥の山です
ゴルフ場東側の橋の近くでも堆積場の耐震(地割れ?)に問題がどうとかで工事してますね

というか板屋も所山も元々は全部ヘドロ堆積場で
板屋九郎兵衛の墓の横の3階建て町営住宅は大型重機で杭を打って建ててました


掘りかけたけど水が出てきてやめたトンネルの遺構は
太陽光パネルの西の端の山裾?で蓋されて井戸みたいになっていたと思います
西山の坑口は埋めたらしいです(←熊野簡易軌道とは関係ないです)
Posted by ツチガエル at 2023年09月09日 21:02
コメント有り難うございます。うれしいです。
いっぱいの情報頂き、感謝感激痛み入ります。

頂いたコメントで、自分が承知していたのは、かつては存在
していた吊り橋と、多くの面積が泥の堆積であることです。
(奥地は吊り橋もありますが、大畔ひの坑道跡のことです。
いつか入山してみたいものです。)

他は新たなキーワード&課題ですね^^。いやぁ増える一方
ですね。もう2年くらいご無沙汰しているので、また訪れ
たいです。
Posted by shimneti at 2023年09月10日 00:56
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