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2019年02月17日

梵釈寺(ぼんしゃくじ)に看板見に行く

この道はよく利用する。などと言っても地元の人に
しかわからない。車で走ると実に爽快だからだ。
したがってなにかと利用している。
で、その道中にちょっと目を引く名前の寺が有る。
梵釈寺(ぼんしゃくじ)。
01.gif

そこの看板が新しくなっている。
と言っても2005年のことだから、もう随分経ってはいる。
岡本歴史文化遺産  というタイトルで
平成17年1月 岡本夢プラン委員会 が建立した、という
ことだろう。
ここに気になる地図が有るのを、前々から気になりながらも
今頃になって、ちょっと見に行ってみたくなった。
その「今頃」と言うのも2015年のことで、不完全燃焼を続け
ながら、やっと2018年に動き始めた、という話。
02.jpg

くだんの看板のタイトルは「岡本歴史文化遺産」
わざわざ看板を見に来たのだから、全部書き写してもいいものだが
自分の興味は、もはや斯様な文字情報ではない。
それでも何点かは記しておく。

梵釈寺(ぼんしゃくじ)
 もともと平安京を開いた桓武天皇の創建で志賀の里にあった。変遷を経て、
天和(1681〜1683)年間に領主奥田家と日野正明寺の晦翁(かいおう)
和尚により現在の場所に創建された。亭保13(1728)年に宇治の黄檗山
万福寺の末寺となった。謄写版を発明された堀井本家の菩提寺であり、
全盛期には多くの寄進をされた。

にぎりめし
 村の境目すなわち境界。主要な地点に土を高く盛り上げて目印とした。
この形が「にぎりめし」に似ていることから呼ばれるようになった。毎年秋に
岡本の役員は境界廻りを行い、樹木の伐採や、「にぎりめし」の管理を行って
いる。表示の「にぎりめし」は特に大きく、大字寺、綺田と岡本の重要な境界標。

伝病火葬場跡
 明治10年頃からコレラが多く発生するようになり、細菌の蔓延を恐れて
設置した広域の火葬場。蒲生町内では大字畑田とこの2ヶ所。

弁財天
 現在は水没しているので見ることはできないが、古くから岡本に伝わる
般若経600巻の内の150巻を奉納していると伝えられる。

紫香之神(しかのかみ)(岡本発祥の地)
 天智天皇の第二皇子は、これより北の丘陵地に小御門を造営し、ここを
高岡宮とし皇子はのちに大梵天皇と称した。その後、聖武天皇の勅撰に
より、全国を行脚された行基菩薩はこの地において、仏閣を開立し、天皇
お付きの者23人衆に壺焼き、水晶磨きなどを教えた。その後、23人衆は
現在の岡本周辺に移住した。
03.jpg

そして、魅力的な地図。
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さて、どこに行きたいと思ったか?
そりゃこれよ。「伝病火葬場跡」
「伝染病」だったらわかるけど、「伝病」やで?
ミスプリか?と思ったけど・・・
06.jpg

さっきの看板だって・・・
07.jpg

現地の案内看板だって・・・
あれ?こっちは「伝病『焼屍』場跡」
だけどやっぱり「伝病」。
なんでなんでしょうなぁ。
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なんでなんでしょうなぁ。
posted by Shimneti at 15:06| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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