思っているよな〜。
そしてついに11月は投稿しなかった。
今年も残り2週間弱。今年目標に掲げた一大決心も未達に
終わることが確定だ。それどころかモチベーションが失せて
いたような・・・
そして、直近の行ってきた場所が、これまた未達だ。
久々にM氏にお声かけ頂いた。だいたい誰とも1回以上
続いたためしがないが、不思議とM氏とはそんなに頻繁に
会わないものの、続いている。
そしてその記念すべきM氏ツアー20回目は春日鉱山になった。
行きなれた春日村、とはいえ、M氏だよ。ただごとでは終わら
ない。案の定放送禁止の連続だわ。
それはさておき・・・ そのツアーの時、二つのことを思い出した。
一つがの索道のこと。もう一つは、実現させてから紹介したい。
来年になるかな?
ひとまず、今回は索道のこと。まぁこれの延長である。
だけど自分自身は未達であるよ。

索道上部の起点位置。
Googleの写真によると、何かは有りそうだね。


今となっては行き難そうな場所だ。

M氏が、探索しておくよ、と言ってくれていた。
と言うことは、またツアーで連れて行ってくれるに違いない。
なので、自分はまだ行っていない。
日が暮れ前のほんのひととき。
これは索道直下の安全を確保するための遺構。
ここに初めて来た25年ほど前も、同じようにここに佇んで
いた。その時も空には索道のワイヤーは見えなかったと
記憶している。

今見えるのは電話線のようなケーブルのみ。


昔はこの先、林道終点まで車で行けたが、年々行ける
場所が短くなって、もはや索道下遺構のわずか先で
道が埋まってしまっていた。

でも先は歩いてなら行けそうだ。

斜面を見てみると、以前使われていたであろう巡視路
が残っていた。これを登っていけばきっと上部起点まで
行けるに違いない。

望遠で見てみると遺構が有ることがわかる。

リスキーな対岸を少し・・・いや相当登ってみた。

対岸から望遠で。
なかなか面白そうじゃない。
左に伸びる赤錆たパイプは崩落点砂防上部に
行っているようだ。


早くもM氏から到達された、との連絡あり。早いぇ〜。
異例のスパンの短さでツアー21回目と相成った・・・が
この有様。雪の中行ってもなぁ、という場所だ。
結局今シーズン私は見ることはできなかった。

こりゃ春までおあずけですな。

索道の下部起点にも行った。
そこから見る山は真っ白になりつつあった。

これは2007年。何度も訪れているように思ったので
写真を探してみたが、そんなに何種類も出てこなかった。
せいぜい5回程度だった。

ほほぉ。ここが起点だったのか。そうかな?とは思っていた
けど、なるほど、だ。

橋みたいなのが無くなっていた。

2016年に撮ったこの場所がやっぱりそうだったのか。
この時のほうがたくさん撮っていた。







草むらに足を踏み入れることは無かったが、今となっては
あの橋が有るうちに渡っておけばよかった、と後悔している。

ここ、調査予定の場所です
県道は、何回も通過していた
ワイヤーは全く気付かなかった
そもそも、ここに、索道があったことすら知らなかった
上の林道は、途中までしか行ってない 中山にある清水鉱山露天掘り 清水石灰
最近分かった ドロマイト鉱山
ここは、伊吹鉱山 河合石灰が掘っていたが、いい脈が少なかったので中止
索道終点の県道脇の場所・・地元の谷名地図を眺めていて見つけたので、現地確認したいと思っていた
雪が解けたら、確認に行ってきます
しょっちゅう通ってるのに今頃気づく、ってよくありますね。
ぜひぜひ行ってみて下さい。
石灰鉱山は、鉱山の中でも各地に残る数少ない現役鉱山ですから
こんな場所はまだまだ有るんだろうなぁ、と思っておるところ
ですよ。
また来年もよろしくお願いします。
なにやら噂されていたのでコソコソっとやってきましたよーー
本坑道は入れなかったのですが、たぶん連絡坑道がどこかにあるのではないかとコネコネ考えましたが・・・・林道の先っぽい気がします・・・。
あの先の探索は・・・・よろしくです!
それと、あの近辺では粗悪な石灰が採石されることから、石灰鉱山時代はほんの少しで、戦後すぐにドロマイト鉱山、マンガン鉱山として運営されていたそうですよ。
元は地元住民がマンガン鉱山として採掘を終えたところをK石灰さんが譲受して大規模開発を開始したとか。昭和50年近くまで管理はしていたそうですが、今は某ブログに記載されている通りの状況です。
何だか生煮えと言うのか、不可思議なところが多いですが、そんなところです。
また来年もよろしくですーーーー!
ちょっと判明?
M子様毎度です。
噂するのは良くないので気が引けましたね〜。詳しくは某ブログで、
と言いたいのは山々ですが、それもできんですなぁ。
本年もよろしくお願いします。