やっぱり近くのどこかに行くことで解消するべし、
とかわけのわからんことを考えているうちに、
超々々久々に青川峡谷に来ました。
峡谷入口には立派なキャンプ施設ができていて
多くのキャンパーの方々でビッシリでした。大盛況。
バーベキューのおいしそうな香りが漂っています。
ちょっと違った日常を味わえてなかなか楽しそう
です。
昨年、「この先に素掘りのトンネルが有ってなぁ」
って話を某氏にしたところだし、ちょっとデジタル化
という感じでやってきたわけです。
前回ここに来たのは23年前で、青川にキャンプ場跡
は有ってもキャンプ施設は有りませんでした。
新しいキャンプ場です。
当時は砂防用だと思いますが林道がつづら折に登って
行く場所まで車を入れることができました。
予想通り、という図です。最近、自由に入れる林道
自体が少なくなりました。
自分のような勝手もんも一因の一端をかついでる
ことでしょうな。いたしかたなし。
冒頭にも述べた通りで、今回は治田峠、はたまた
銚子岳に登ったろう、というようなことは考えて
いませんでした。
で?治田鉱山跡?
いやいや、これですよこれ。わかりますよね。
「青川峡」「治田鉱山跡」 こういうことですよ。
これが驚きの・・・、いや正直今回行ってみて
本当に驚きました。 その変貌ぶりに・・・
本当に美しい峡谷だったのですが・・・
門に書かれている文言です。
林道通行止。治田峠にも通行できない旨書かれ
ていました。
私がそんなこと言うこと聞くわけないやん。
どのように迂回できないのか見に行きたくなる
性分です。それがモラルを乱すねんけどね。
すでに林道を歩いています。
林道道中には大鉢山への登山ルートが有ります。
変わらぬ林道の風景?いや、変わりまくりのような。
新たに砂防が増えています。
「美しい峡谷だ?」 いや、このあたりはこんなもの
だったような気もするけど。
「後谷橋」です。
しかし見事に崩れの中を歩いている感じです。
まわりも砂防がいっぱい。
こうなったらもう砂防で防いでいくしか無い状態
です。
この橋も砂防が無かったら存続できそうにない
周辺の状況です。
西側は親柱もすっ飛んでいます。
橋の上流は青川支流ですが、橋を守る工事で水流
を迂回させていました。
木パレのスクリーンにプラパレのスクリーンでの
簡易取水、迂回です。
林道はすぐに終わってしまいます。
いきなり川渡り。
丸木橋なんて気の利いたものはすでに無いと
思っていたら、辛うじて最初の一発目だけ有り
ました。
ちなみに、この後何回も渡渉が必要となるのです
が、橋はありません。
そんなことは想定済で、軽半長靴だから問題
無しですが、踏み抜きと岩で足の裏が痛いこと
だけはがまんしなければなりません。
しばらくするとまた林道が登場します。どこからも
車は侵入できない林道です。
よじ登らないといけません。
重機しか入れません。
下流方向を見たところです。
何か建っています。
太陽電池で駆動の警報発報のシステムのようですが、
何の警報出しでしょう。
そしてその先、この林道も一瞬で終わり。
登山道はどこ行った?という感じ。川を歩いていくしか
ありません。
川底を進んで振り返り。
足が痛いことこの上なし。
なんとなく記憶に有る場所。
「美しい峡谷」なんて消え去り、「荒廃」に唖然。
常願寺川もびっくりのひどい状態です。
この砂防は以前にも見ましたが、まだまだ足りない
ようです。
おんなじような写真ばかりですが、もう1時間も
この状態の場所を歩いていて、正直きついです。
それにあの狭い青川はどこ行った、という感じ。
あまりにも変わってしまいました。
あれ?あれ?の連続です。あれ?を呟きまくっ
てました。
見覚えのある木々ですが、風景は別物。
おぉこれは、銚子谷との出会ですか。
あれ?じゃぁ広河原?
あのきれいな砂地の川だった場所は瓦礫の
山と化していました。なんだか悲しい気持ちです。
それに銚子谷と出会う為にはあの素掘りのトンネル
をくぐらないといけなかったはずです。
見かけなかったぞ〜。
必至で記憶を辿り始めました。たしかトンネルを出た
ところは銚子谷に面しとったぞ、とか、トンネル反対側
は登山道上だったぞ、とか。
そんな場所、無くなってるような・・・
ここだっけ。
それともここか?そんなわけないな・・・
この谷はどうだ?
そもそも登山道が無い・・・
いや、この右側のどこかに埋まってるはず、という
感じで、小一時間探し回りましたが、もはや記憶に
合致する場所は有りませんでした。
この気持ち、どこにぶつけたらいい?
そりゃもう先に進むしか有りません。
こうなったらもう夜になるの覚悟で治田峠でも行くか。
ちなみにこのルート、素人はやめておいたほうが良いです。
って自分も素人ですが。
ルートは消滅しているし、ここ最近の踏跡も有りません。
以前は無かったような危険個所も多少ありました。
ルートが不明瞭になっていることが一番の問題だと
思います。
知らなかったらこの真ん中のこんもりしたところに
入ってくことに気づかないと思います。
難所1です。ウソ、楽勝です。
ここは治田鉱山現役時代には住居が有った場所
だと思われます。
そして、これは日之岡稲荷です。
「徳川幕府統治時代、金銀銅鉱の産出で隆盛を極めた
治田鉱山において此の地に鉱山事務所を置き当時
一千人程の下財と呼ばれた抗夫達が食べ物を司る
神・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祭神とし
信仰をした。」
と書かれていました。
こんなところに案内図が出てきました。
アイウエオに出会うことは有りませんでした。
ここに書かれているルートも今では違ってしまって
います。
この稲荷、こんな崖の上に建っています。
わかりづらいですが、左側は数十mの崖になって
います。
崖下に降りてきました。
川はここでふん詰まりになり、滝で降りて
いきます。
それがこれ、滝の上流側です。
ちなみに滝の下流から見たところはこんなにきれいです。
(日之岡稲荷に上る前に見ておいた)
登山ルートはやはり消滅していて、こんな場所を
進みます。
がまんして登り続けると、登山ルートが復活します。
あれ?ここがトンネルやったっけ。んなわけありません。
しばらく旧道。
ルートはここから左の斜面を登る必要が有ります。
登った先。
あまり迷いそうにないところに一応看板は有ります。
でも肝心の場所には無し。ここに入って来れるか
がもう一つのポイントです。
ななめに写真を撮ってるんじゃないですよ。
もうルートはよくわからなくなってしまっています。
ここからしばらくは危険個所で気が抜けない状態
が続きます。
ここまで来ればもう大丈夫。溝道となり、ルートも
わかりやすいです。
それにしても、もう今では誰も通っていない様子です。
踏み跡無し。
中尾地蔵まで来ました。峠まではあと少しです。
で、中尾地蔵はどこに?
あらら、これまた屋根は飛んでしまっています。
これを登り切ったところで治田峠着です。すっかり真っ暗。
夜になるのは、いつもの自分のパターンです。
夜の20時、車のところに戻りました。
トンネルはどうなったんだ?
ストレス解消は新たなストレスを生んで終了。
豪雨前に行っておけばよかった・・・(涙)
逆に13枚目と15〜20枚目の橋は在る事すら知りませんだ
どんだけ深く埋まっていたのでしょう・・・
これ今年の豪雨ですかねぇ? 鈴北に登った人からは
うわさには聞いてたんですが、もう行ってみてびっくり
でした。あの美しかった渓谷や落ちたら危ない鎖場とか
消え失せて、荒涼とした風景に変わっていました。
ものすごい埋まりようです。「うしろたにばし」という
のですが、それも埋まってたんですかねぇ。確かにとっ
てつけたような姿になってました。
ちなみに無風のとても天気の良い日でしたが、暗闇を
帰っている最中、左右岸から轟音をたてながら崩れの
真っ最中に何度も遭遇しました。 崩れ現役中です。
常願寺川を進んで怒られたことが有りますが、それに
匹敵する崩れですよ。
ただ隧道の場所なのですが、登山ルートにあって結構高い
位置に有ったという記憶です。それが跡形もなく埋まる
ものかなぁ、という疑問があります。あまりにも景色が
変わりすぎていることと、もう随分前、ということから
確実にここに埋もれている、と言い切れないものがある
ので、もっと最近行ってこの場所に有る、と確信できる
人と再調査要だと思っているところです。あと坑道と水
抜き穴が有ったのですが、これはそれと思しき場所が
有りましたが、これも崩れているようで、入れませんで
した。カエルが出入りしていましたが・・・
以前は銚子谷の流れがトンネルを抜けて流れていたみたいですが現在は河床が上下流の両方で凄まじ上がっているみたいですく
すでに水が入るレベルまで川底が上がって、しまいに
は埋まったと・・・
やっぱり場所を特定したいですね(そそのかしてる
つもり)