なっとりますがな。これじゃぁもうじき広告が出てくんぞ。
たまには更新せんと。ダムも切れてるし。
旧東青山駅跡へ向かっているところです。
写真では伝わっていませんが、激急坂です。
そして山奥。
最寄りの駅がこんな山奥ってどうよ、などと
思ってしまいますが、観光が主だった、とも
言います。でも少数でも地域の利用もあった
はず。
激坂の途中には滝。車を停めるにもサイド
ブレーキが効かんほどの坂です。
この上流、駅跡の横では川の水が駅に入らぬ
よう人造コントロールされていますが、この滝
を見てもそんな片鱗は感じさせません。自然の
滝然としています。
さらに上がるとこれ。ここで車放置。
ここからは歩きです。
帰りはオールバックになったけど。
明るい雰囲気です。
謎の穴も健在。
裏手にまわって、
なぞですなぁ。
同じ8月でも、2005年に来た時は草が鬱蒼と
していました。
滝谷トンネル側を眺む、の図です。鬱蒼。
さらにこの3つ向こうのトンネルはあの痛ましい
事故の有った場所です。
青山トンネル側を眺む、です。草がすごくて
青山トンネルを見に行く気がおこりません
でした。
しかもこの先は・・・
やっぱり鬱蒼。道には見えないです。
とある三重県の方の動画を見るまでは東青山
変電所にも気づきませんでした。一応奥まで
歩いて行ったのですが。
2014年の8月は、とても明るい雰囲気。
これは随分自分の中の印象が変わりました。
滝谷トンネル側です。
こちらは青山トンネル側。
トンネル側からの水の流入を防ぐ堰もはっきり
見えます。
広い駅ではありますが、ホームはとても狭い
ですな。
これですから。
当時、両側を特急が駆け抜ける、なんてことは
無かったでしょうけれど・・・
青山トンネル側へ少し進んでみます。
水路の為に少し撤去されています。
奥には、・・・ 当時の私鉄最長である大将軍、青山
トンネルが鎮座しています。
当時のトンネル掘削は、今よりももっと難工事を強い
られており、この青山トンネルも例外なく難工事で、
16名もの犠牲者の上に完成したことは三重に住む
ようになり、知りました。
草の少ない12月に再び訪れました。
一度来だすと、何度も訪れる・・・
今回は学習して下から歩いて来た、と言うのに
道は回復していました。
さすがは12月。草の勢いも無くなっています。
滝谷トンネルもはっきりと見えています。
青山トンネル側。遠く、変電所の鉄塔も見えています。
山側には観光地だった頃の売店跡があります。
いまや2階建てには見えません。
振り返るとホームが見えます。長閑な良い駅だったこと
でしょう。
その脇には、かつてのハイキング道が有ります。
すでに廃道と化しています。それでも十分に通る
ことができます。これはありがたきこと。
この道が無ければ辿ることもなかったことでしょう。
一応街灯も有ったようです。
快調に登って行きます。
石垣も登場。
まるで城跡のようです。
しかし、上ってみると、建物が倒壊した
跡のようでした。
茶屋か休憩所が有ったのでしょう。
・・・となると、荷をあげるのはどうしてたのか、
とか、余計なことが気になりますな。
有線ぽいのもあります。
時代を感じさせる物から時を超えても変わらぬ物
などさまざまなものが転がっています。
これは、
お知らせ
?23日から東青山駅移転に
ともない、ハイキングコースが
下記のとおり変更になりました
ので、ご了承ください。
青山高原布引観光協会
近畿日本鉄道株式会社
しもた、どう変わったんかちゃんと見て来んかったぞ。
でももう見に来ないことでしょう。
さらに山の上へと道は続きます。
現役っぽい山道と二手から合流して道が続きます。
廃小屋も登場。
下山途中にあろうことか、まさかの道迷い。
気が緩みすぎやぞ、と猛省の中降りてきました。
古いのかどうかもよくわかりませんが、見つけた
空缶とビンたちです。
この地がハイキング道となることは、もうよほどの
ことがないと有り得ないことでしょう。廃観光地
で感じる夢の跡の思いに浸っていました。