昔車で少し入ったことが有ります。

西側からのアプローチ。当然侵入済です。
隧道が有るなんて知りっこなし。夜中だったし。

東側から行くのが絶対おもろい。直感がそう言っています。

しばらくは車で進めます。



車の侵入限界。

ここからは歩き。

道なりに何も考えず進む。これが間違いの始まり。
何か道が無くなったような・・・

気にせず突き進む。

道は無し。

急斜面だけど、木が有るからさほど困りません。

たかをくくっていたから、コンパスも何も持っていません。
体内コンパスが違うよ、違うよ、と言ってますが、今更
引きません。天気が悪かったら遭難パターンですが、
来たルートは押さえているので大丈夫。

人工物発見。

矢所と書いています。見事まったく違う方向に進んで
いるようです。

景色でも見て下山しますか。




矢所峠着。


茶地岡山着。



R42便石山の登山口に降りてきました。


車のところまでめっちゃあるぞ〜。
タクシー拾おうか、と本気で思った。けど走ってない。

なんやかんや、昼飯時間も含みですが、11時から13時
まで無駄な山歩きをしました。

多少面倒臭いな、と思いながらももう一周。
ここにも便石山登山道入口有。


今度はちゃんと体内コンパスを働かせて、いくつか
ある分岐の、これ、というところを進みます。
やっぱ何も考えんと進むと簡単に遭難できます。
ほんまにここ道やったんか?と思える危険な雰囲気。
東側から行かれるのはやめておいた方がよい、と
本当に思います。

写真では伝わりませんし、本当に危険な場所は写真
撮る余裕無し。水平歩道より危険かも。


水平歩道みたいなところもあるし。

なにせつかまるところが無いのよ。

苦労して来たほうが感動有り、ですが、もう懲り懲り。

今から百年以上前、明治に出来た隧道です。
隧道を掘るのが、いまよりももっともっと大変だった
時代、この初代は二代目にバトンタッチするのに
十数年のことだった、というから、この地の林業が
いかにパワーを持っていたか、ということです。

たかがこれだけの山を越えるだけに・・などと考えては
ならぬのです。木を運び出すのに、どれだけ切望されて
どれだけ便利に利用されたことでしょう。


しかしすばらしくきれいに残っています。
まったく何も手入れされていないわけでも無さ
そうです。

扁額には「道隧下坂」。立派なものです。



ちょっと入って振り返り。よくぞこんな場所に、という
風景。


今も林業の山々です。

百年も経つと思えぬ隧道の中。

煉瓦が抜けている場所があります。



西側に到着。




こちらの扁額には「鑿神斧鬼」。
まさに鬼の斧、神の鑿。
当時の掘削方法を物語っているようです。

こちら側には崖っぷちが少なく、今もアクセスが容易
なようです。(後で車でも来ました。)

このちょっと先まで車で来れました。


また戻ります。


床面には、なんとなく車輪の跡が見えます。
この辺りの木の搬出に使われることも有るのでしょう。

まさか尾鷲側から行くとは………危なかしいことを
おいちゃんが遊びに行った時は車で林道よりヒューーっと簡単に着きましたよ☆
今はどうか知らないですけどね。
尾鷲は隧道が沢山ありますが、辺鄙なところに多いですよね(汗)
また遊びに行きたいものです。
またいつか☆
そうっすね。危なっかしいというよりちょっとあきらめ
かかりましたよ。でも歩かれている感じでしたよ。ザイル
も放ってあったし。西側は現役バリの林道で、ほぼ車横付
なのにね。またよろしく。