それくらいは知っていたのですが、それが
これのことだったとは・・・現役国道のトン
ネルとして現役で活躍してたとは・・・
よく通る道なのに。
あまり尾鷲には来ないという助手席の
Mさん談です。
比較的交通も有って、いつも素通りです。
こうしてあらためて立ち止まって見て、その
神々しき姿に感動しました。
現役でありながらよくぞ残っていてくれたもの。
尾鷲側坑口。
現在も林業や水源、電源を支える主要道
にあり続けています。
もともと明治の時代に林業用に掘られた
そうです。現在の林業トラックも通れる
サイズです。
当時はトラックでもなかったことでしょう。
しかも通行料も取っていたそうです。
そんな時代が有ったのですなぁ。
さらにMさんから衝撃の事実!
この明治の隧道、既に2代目らしい。
なに? じゃぁ初代は江戸時代か?
いやいや、そんな・・・
2代目のほんの十数年前らしい。
隧道前後の道が険しすぎて、すぐに2代目
の着手となったらしい。今よりも穿つのに
大変だった時代。
林業旺盛な時代だったんですなぁ。
相当な長さ。照明も無かった時代に通行料を
払ってここを通ったのでしょう。
山賊も通ってたかな?
気楽に夜中うろうろしている趣味のやつと
違って、夜中決死の覚悟で通った人達もいる
はず。など、変なことも考えさせる隧道です。
反対側(クチスボダム側)に来ました。
この時代の隧道はやっぱり姿が良いです。
現在とは思い入れの差が有るのでしょう。
あれ?なんか中が変わってる。
入れ替えてるのかな?
配線と補強巻はいささか無作法な感じ。
でも現役で使い続ける、と言うのはこういう
ことも有り、なのです。
読めないです。
まだこれ以上の山奥に初代が有るのか?
埋もれてるんじゃないの?
この辺りの林道支線はだいたい制覇してるし。
気付いてないよ。
坂下隧道ですか〜....アレの時に確か通りましたよね☆
↑その節は有難うございました。
きっとS氏様なら「続!坂下隧道裏道編」を書いてくれますよね??
後を追って「某の散歩」で書こうかな☆
その前にいろいろと更新しないといけないのもあるけどね。
サイト更新楽しみにしていますね☆
2月のことだったんですなぁ。
あっという間に今年も末になってしまいました。
早いもんです。
来年もあまり余裕は無さそうです。けどまたよろしく。
そちらも「小言」がなくなっちゃいましたが、記事の
方もよろしくです。
クチスボダム方面から行きますと現道は途中で左にカーブして川を渡り現用隧道に至りますが、そのカーブを曲がらずに林道へ直進し道なりに進むと初代隧道に至ります。途中崩壊等が無ければ道の終点まで来るまで行け、初代隧道はそのすぐ先に開いております。
ただ隧道より東の区間は装備と案内が無ければ相当危険なようです。
私の書き方がもったいつけてたばっかりに、教授にこ
んなに書かせてしまって。
でもコメントもらえてうれしかったですけど。
このあたり、林道はだいたい制覇済ですので、あえて
尾鷲側から登りました。
仰せのように「案内」と「装備」。これ本当です。
ヤマ勘で行ったら2時間のトレイルの末R42に降り
てしまいました。まさか、のルートが本線でした。
装備は有りで行きましたが、崩落の性質がわるくて安
全の確保には崩落を直す工事職人の装備が理想、とい
う状態でした。むかしの大八道の雰囲気も残すならこ
のルートも保存してもらいたいですが、放棄されたく
らいの場所なので費用もかかりそうです。
そんなわけで、初代坂下隧道に半日を費やしました。
おかげで、あとに予定していた大和谷四次調査が失敗
におわってしまっています。
ではではまた来年もよろしくお願いします。