カテゴリ
ダム・発電所(308)
鉱山(43)
林道(54)
隧道(104)
(14)
鉄道(56)
その他(96)

2013年11月02日

丹生鉱山 日ノ谷旧坑

久しぶりに丹生鉱山の日ノ谷坑に行きました。
丹生のこのあたりには、中央構造線を挟んで
300ヶ所を越える辰砂の探掘坑の跡が有る
そうです。探掘目的の試掘跡が大半とのこと
ですが、ここ日ノ谷は古代・中世に実稼働して
いたものと考えられています。
水銀の原料となる辰砂(しんしゃ)(朱砂(しゅさ))
は赤っぽい鉱石です。こいつに石灰を加えて蒸留
し、水銀を採取するのです。
「続日本紀」に水銀や朱砂が文武天皇2(698)年
の条に、伊勢を含む5か国から献上された、という
記録があり、丹生水銀は8世紀には広く知れわたっ
ていたようです。
奈良時代に建立された東大寺の大仏のメッキ用に
水銀が使われて、当時の政策や仏教文化高揚に
重要な役割をはたしていたわけですが、主にそれ
をささえたのは伊勢水銀だったのです。

入口が整地されてきれいになっていました。
でっかい駐車場にでもして一大観光地に、なん
てことないでしょうね。
01.jpg

案内の看板がちゃんと有ります。
02.jpg

坑口が二つに、精錬装置もきれいに保存されて
います。見に行ってみましょう。
03.jpg

山道っぽいですが、きれいに整備されています。
04.jpg

すぐに精錬装置がまず見えてきます。
考案者は丹生の北村覚蔵氏で、実用化は
多気の中世古亮平氏。
05.jpg

06.jpg

三本の鉄管へ粉末にした辰砂と石灰とを
10対1の割合で混ぜて入れ、左の炉に
つめたおがくずに点火し、加熱する。
07.jpg

08.jpg

09.jpg

10.jpg

辰砂に含まれる水銀は三百度くらいでガス化
し始め、垂直の三本の鉄管へ向かい、その
途中で冷却されて、液体の水銀となり、これを
補集する。
11.jpg

12.jpg

13.jpg

残ったガスは左斜めの下に伸びている鉄管を
通り、左端の円筒に入り液化させ補集する。
14.jpg

この装置により、昭和三十年代に月産340kgの
水銀が精錬された。(多気町の看板より)
15.jpg

この精錬装置からわずかに進んだところに坑口
があります。
16.jpg

林の中です。
17.jpg

坑口には屋根が付けられ、きれいに保存されて
います。
左が古代水銀採掘坑。右が昭和水銀採掘坑道。
18.jpg

まずは左から。
だれか入った形跡があります。開いていました。
19.jpg

20.jpg

右側。
21.jpg

22.jpg

23.jpg

24.jpg

日の谷鉱山
昭和30年 3月13日
中世古亮平原図
25.jpg

26.jpg

27.jpg

・奈良時代には仏教文化高揚に貢献。
・鎌倉時代に入ると、水銀座が設けられるほど
 栄えた。
・室町代になると、丹生水銀に関する史料が少
 なくなり、衰退していったと考えられる。
・江戸時代にも試掘されたが採掘までにはいか
 なかった。
・昭和12年頃、北村覚蔵氏が地質調査や試掘
 をし、更に水銀精錬装置などの研究を始め、
 やがて水銀採掘と精錬に成功した。
・その後北村氏は事業を断念し、権利を「大和
 金属鉱業所」に譲った。大和鉱業所は昭和43年
 から大型機械を取り入れ採掘したが、公害問題
 等から昭和48年閉山した。

posted by Shimneti at 13:43| Comment(0) | 鉱山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: