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2013年11月02日

丹生鉱山 日ノ谷旧坑

久しぶりに丹生鉱山の日ノ谷坑に行きました。
丹生のこのあたりには、中央構造線を挟んで
300ヶ所を越える辰砂の探掘坑の跡が有る
そうです。探掘目的の試掘跡が大半とのこと
ですが、ここ日ノ谷は古代・中世に実稼働して
いたものと考えられています。
水銀の原料となる辰砂(しんしゃ)(朱砂(しゅさ))
は赤っぽい鉱石です。こいつに石灰を加えて蒸留
し、水銀を採取するのです。
「続日本紀」に水銀や朱砂が文武天皇2(698)年
の条に、伊勢を含む5か国から献上された、という
記録があり、丹生水銀は8世紀には広く知れわたっ
ていたようです。
奈良時代に建立された東大寺の大仏のメッキ用に
水銀が使われて、当時の政策や仏教文化高揚に
重要な役割をはたしていたわけですが、主にそれ
をささえたのは伊勢水銀だったのです。

入口が整地されてきれいになっていました。
でっかい駐車場にでもして一大観光地に、なん
てことないでしょうね。
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案内の看板がちゃんと有ります。
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坑口が二つに、精錬装置もきれいに保存されて
います。見に行ってみましょう。
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山道っぽいですが、きれいに整備されています。
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すぐに精錬装置がまず見えてきます。
考案者は丹生の北村覚蔵氏で、実用化は
多気の中世古亮平氏。
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三本の鉄管へ粉末にした辰砂と石灰とを
10対1の割合で混ぜて入れ、左の炉に
つめたおがくずに点火し、加熱する。
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辰砂に含まれる水銀は三百度くらいでガス化
し始め、垂直の三本の鉄管へ向かい、その
途中で冷却されて、液体の水銀となり、これを
補集する。
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残ったガスは左斜めの下に伸びている鉄管を
通り、左端の円筒に入り液化させ補集する。
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この装置により、昭和三十年代に月産340kgの
水銀が精錬された。(多気町の看板より)
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この精錬装置からわずかに進んだところに坑口
があります。
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林の中です。
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坑口には屋根が付けられ、きれいに保存されて
います。
左が古代水銀採掘坑。右が昭和水銀採掘坑道。
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まずは左から。
だれか入った形跡があります。開いていました。
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右側。
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日の谷鉱山
昭和30年 3月13日
中世古亮平原図
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・奈良時代には仏教文化高揚に貢献。
・鎌倉時代に入ると、水銀座が設けられるほど
 栄えた。
・室町代になると、丹生水銀に関する史料が少
 なくなり、衰退していったと考えられる。
・江戸時代にも試掘されたが採掘までにはいか
 なかった。
・昭和12年頃、北村覚蔵氏が地質調査や試掘
 をし、更に水銀精錬装置などの研究を始め、
 やがて水銀採掘と精錬に成功した。
・その後北村氏は事業を断念し、権利を「大和
 金属鉱業所」に譲った。大和鉱業所は昭和43年
 から大型機械を取り入れ採掘したが、公害問題
 等から昭和48年閉山した。

posted by Shimneti at 13:43| Comment(0) | 鉱山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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