丹生のこのあたりには、中央構造線を挟んで
300ヶ所を越える辰砂の探掘坑の跡が有る
そうです。探掘目的の試掘跡が大半とのこと
ですが、ここ日ノ谷は古代・中世に実稼働して
いたものと考えられています。
水銀の原料となる辰砂(しんしゃ)(朱砂(しゅさ))
は赤っぽい鉱石です。こいつに石灰を加えて蒸留
し、水銀を採取するのです。
「続日本紀」に水銀や朱砂が文武天皇2(698)年
の条に、伊勢を含む5か国から献上された、という
記録があり、丹生水銀は8世紀には広く知れわたっ
ていたようです。
奈良時代に建立された東大寺の大仏のメッキ用に
水銀が使われて、当時の政策や仏教文化高揚に
重要な役割をはたしていたわけですが、主にそれ
をささえたのは伊勢水銀だったのです。
入口が整地されてきれいになっていました。
でっかい駐車場にでもして一大観光地に、なん
てことないでしょうね。
案内の看板がちゃんと有ります。
坑口が二つに、精錬装置もきれいに保存されて
います。見に行ってみましょう。
山道っぽいですが、きれいに整備されています。
すぐに精錬装置がまず見えてきます。
考案者は丹生の北村覚蔵氏で、実用化は
多気の中世古亮平氏。
三本の鉄管へ粉末にした辰砂と石灰とを
10対1の割合で混ぜて入れ、左の炉に
つめたおがくずに点火し、加熱する。
辰砂に含まれる水銀は三百度くらいでガス化
し始め、垂直の三本の鉄管へ向かい、その
途中で冷却されて、液体の水銀となり、これを
補集する。
残ったガスは左斜めの下に伸びている鉄管を
通り、左端の円筒に入り液化させ補集する。
この装置により、昭和三十年代に月産340kgの
水銀が精錬された。(多気町の看板より)
この精錬装置からわずかに進んだところに坑口
があります。
林の中です。
坑口には屋根が付けられ、きれいに保存されて
います。
左が古代水銀採掘坑。右が昭和水銀採掘坑道。
まずは左から。
だれか入った形跡があります。開いていました。
右側。
日の谷鉱山
昭和30年 3月13日
中世古亮平原図
・奈良時代には仏教文化高揚に貢献。
・鎌倉時代に入ると、水銀座が設けられるほど
栄えた。
・室町代になると、丹生水銀に関する史料が少
なくなり、衰退していったと考えられる。
・江戸時代にも試掘されたが採掘までにはいか
なかった。
・昭和12年頃、北村覚蔵氏が地質調査や試掘
をし、更に水銀精錬装置などの研究を始め、
やがて水銀採掘と精錬に成功した。
・その後北村氏は事業を断念し、権利を「大和
金属鉱業所」に譲った。大和鉱業所は昭和43年
から大型機械を取り入れ採掘したが、公害問題
等から昭和48年閉山した。