見にこようとやって来ました。
まず最初に訪れたのは、丹生大師の近所です。
伊勢国の水銀というと、このあたりの話です。
6世紀の終わりの文献にはもう水銀の産地として
登場する場所なのです。
辰砂や朱砂などがもっと普通に見られるかと思い
ましたが、それほどでもありません。しかし溝が
茶色い場所があります。



もう用水らしきのが見えてきました。
水に困っていた場所です。江戸時代後半までは荒地
だったといいます。
丹生村の地士である西村彦左衛門為秋は粥見村立梅
に井堰をつくって櫛田川から水をいれる計画をたて、15
年をかけて完成させたものです。現在も活用されている
すごいものです。

こんな場所を上ってきました。


用水の横に上ってきました。

この先はエンゲの切り通しと言われています。
ノミと金槌で岩お砕いて水路をつくったと言います。

切り通しは途中でカーブしています。





そのあと、次なる場所へ歩きます。
