祖母谷奥に有る隧道に行った時に立ち寄りました。
その脇には黒部市教育委員会が書いた?案内が有ります。
日本三奇橋 愛本の刎橋(はねばし)
愛本のこの地に、初めて橋が架けられたのは寛永三年
(一六二六)で打渡橋であった。その後、寛文二年(一六
六二)に加賀藩の五代藩主前田綱紀が、笹井七兵衛正房
に命じて刎橋を作らせた。
両岸から大木をはねだし、中央部でつなぎ合わせると
いう橋脚のない刎橋は、周囲の景観ともよく調和し、儒
学者の頼 三樹三郎をはじめ、多くの文人などの賞賛を受
け、錦帯橋(山口県)、猿橋(山梨県)とともに日本三奇
橋の一つに数えられていた。
刎橋は二十年〜三十年毎に架けかえがあり、八回の架
けかえを経て、明治二十四年(一八九一)木造アーチ橋、
大正九年(一九二0)鋼鉄製トラス橋へと変わるが、昭
和四十四年(一九六九)八月の豪雨で流失した。
現在は約六十m下流に鋼ニールセン系ローゼ桁橋、
橋長一三0mの近代的な橋として生まれ変わっている。
幅は歩道を含めて八、五mである。
昭和四十七年七月に竣工した。
平成二十二年三月一日
黒部市教育委員会
「60m下流の現在の橋」は愛本橋のことなのかな?
案内の看板の先には錦龍閣という料理旅館が有るの
ですが、今は閉まっているようです。廃墟?
ひととおり外から眺めます。
ちょっとこれを見に来ただけなのです。
近づけば何かわかるかと思いましたが、結局
わかりません。
この下には初代の愛本堰堤の遺構らしきのが
有りますので、それに関連するものだと思い
ます。
愛本橋の下をくぐると用水の沈砂が有ります。
雨の愛本堰堤。愛本橋の上から見えます。
右にはお城のような、灯台のようなのが
見えます。
土砂吐と魚道です。
こちらは?初代愛本堰堤の遺構のようです。
愛本橋の左岸に戻ってきました。
「平三郎茶屋冬期歩道」が見えています。
平三郎という茶屋の娘、お光が橋の下の
大蛇に連れられて行ったお話。
このあたりに茶屋が有ったのでしょう。
短い区間ですが歩道がパスしています。
これが入口。
明かり取りの穴もあるし、向こうも見えている
ので不安の無いトンネルです。
出てきたところ。
そしてその真ん前にはお城が有ります。
何かはよくわかりませんが、自分が学生
の頃はピカピカでしたが、今では古くなっ
ています。
一応上がれないようにしてあります。
電線が来ています。2線。単相か?
中は照明でも有るのでしょうか。
堰堤横まで来ました。
雨なので、上向きに撮りづらいです。
発電と灌漑の水利標識です。
これからトロッコに乗る為、あまりゆっくり
できずにおさらばしました。