にある白川鉱区も貼っておきます。
道中、また橋をみつけました。
「教如の里」と書かれたろうそくみたいな看板のそば
です。
あの京都東本願寺の教如上人です。秀吉に追われた
教如上人は、春日村の屈強な男たちに助けてもらい、
春日村の方々も上人を危険から隠まわれたのです。
国見峠の鉈ヶ岩=教如岩というのが関連あるのだと
思われます。
ちょっとした廃道を歩いてみました。
こんな塩梅です。
車を進めて白河まで来ました。川向うに見える建物。
あれです。
以前2000年頃に来た時に比べ、随分手が
加わっています。
現役の鉱山ですので、一部は利用されているので
しょう。ブルの配置が変わっています。
休止したのは最近のことなので、比較的新しい
印象です。
ホッパーの上には線路が有ります。
先頭車両があそこから顔を出しながら順番に
鉱石を落としていく姿を見たかったですね。
坂道を上がっていきます。
危険物倉庫でしょうか。
ここも美束坑と同じく、冷気が出てきていて、どこに
坑口が有るかわかります。
上がってきた道の振り返りです。
トロッコが寂しく佇んでいます。
数年前に比べても同じ配置なので動いてはいない
ですね。当たり前か・・・
ここからゴロゴロと鉱石を落としたのでしょう。
建物にはバッテリー式の電機が2台居ました。
この下がスロープ。
そして、下でまた積み込み、です。
小ちゃいなぁ。でも真っ暗な坑道の中でこいつが
頼りですからね。
電池は日本電池製でした。ユアサと一緒になる前です。
もう一台はトロッコはつながっていません。
側面には春日鉱山と書かれています。
坑口に向かって線路が残っています。うれしいですね。
それにしても、坑口の周りは数年前に比べ変わって
しまっています。
冷気と周辺との温度差で、傷みが激しいのでしょうか。
もう少し往時を偲ばせる看板がきれいに残っていた
と思いますが、ちょっと寂しげになった印象です。
扁額の下に掲げられた看板は無くなり、
白かった看板も茶色になっていました。
削岩する機械でしょう。よく鉱山で見かけるやつ
です。
当然フェンス有りです。
奥に続く線路。
厳しい残暑の中、寒いくらいの冷気でレンズが曇って
しまいました。
線路は隣にさらに奥へ延びており、もう一つ坑口が
有るのですが、この時は行きませんでした。