ようにやって来て、佐和山の三つ目のトンネルなど
と言い出すものだから新しい情報を得に行くはめに
なってしまいました。
私がそれより前に訪れた時にはきれいな邸宅が
有り、犬に吼えられながらも、その先に有る大正
時代のトンネルを見ることができました。当時は
トンネルの前に車がずらっと並んでいました。
それが今では埋もれ、トンネル前までもジャングル
のようになっていると言うのです。
道はかろうじて通れる状態です。
なるほど、もう誰もお住まいではないよう
でした。
明るい時に再び来ました。
予想に違わず激しそう。
トンネルはまだまだ先・・・退散・・
現行国道トンネルと大正トンネルの間にある
トンネル。
私が滋賀に来た頃はこのトンネルは有りません
でした。歩道用トンネルです。
彦根側坑口。
そりゃそうです。1994年11月竣工です。
中はこんな感じ。
米原側まで抜けてきての振り返りです。
米原側坑口。
こう見ると歩道用トンネルが旧道みたいですが
違います。
装備をあらためてやって来ました。と言っても
次の日です。
かなり邪道なんですが、草刈りの道具を持ってきて
道を切り開きながらの進行です。
快調に道を作って進んで来ました。
こんなとこ、そうそう来るやつ居らんやろ・・
と思いきや・・・おぉぉぉ 既に誰かの足跡が!
ひょっとしてMr.DTかぁ?
それにしてもこのまま進んで行ったとは思えん。
強者やなぁ。道を作ってあげます。
廃車が登場し始めました。
トンネルはすぐそばのはずなんだけど・・・
なかなか姿を見せません。
おっ セルボや。 いやそれとも360クーペか?
セルボの方でした。ジウジアーロのいかすスタイル。
昔5千円で買ってきて乗っていたことがあります。
懐かしい・・
○年式排ガス規制。「無鉛」を示すこのシール。
だからセルボの時代です。年年式かなぁ。
見えません。51年くらいか。
こっちは、スプリンターか?
ん?パブリカ?
ぎょうさん有りすぎて、屋根の上を歩いて行く始末。
先に少し何か見えてきました。やっと目的地か。
まだまだ草刈りが必要なようです。
こりゃ殆ど姿を拝めません。
がんばりました・・・草刈りを。
しかし全体像は無理です。
村田鶴の1号隧道とのことです。これは最近
知りました。
中はどうなっているんでしょう。
残念です。水没しています。
漆黒の闇です。現行のトンネルより短く、そんなに
長くないはずですので閉塞しているのでしょう。
水没しているため閉塞地点までは行けません。
扁額の文字は?
何でしょう。日本語じゃないみたいです。
「門」しか読めません。
帰りはスイスイ。道が出来ていますから・・・
反則技の剪定ハサミ。見つかったら確実に
職務質問ですな。
さて、次は米原側坑口を探します。
と言っても閉塞しているくらいだから探すのは
困難でしょう。
だから草が力を無くしている冬にやって来ました。
しかし・・いざ登ってみると結構鬱蒼としています。
現行トンネルの真上ほどに石垣が出てきました。
昔は由緒正しき道でも有ったのでしょうか。
斜面を必死で降りてフェンス際まで来ました。
これは見つけたか! きっとポータル!
間違いなさそうです。
しかし撮影は困難な場所です。全体像は撮れ
ません。
坑口は下に埋もれているのでしょう。
やはり、崩れたのではなくこの下に有る歩行者
用トンネルを造る時に塞いだのでしょう。
・・歩行者用トンネルは最近できたのだから、
その前の姿がどんなのだったのか見ておけば
よかった、と後悔です。
扁額が有ります。あの彦根側にも有った何と
書いてあるかわからない文字です。
彦根側とは違う文字が書かれているようです。
さてどうやって帰ろうか・・
同じ場所を通るのはいやですね。
枯れ薮漕ぎで草の種まみれになりながら
降りました。
と言う思い出に浸りながら今年の6月、雨の中
再訪しました。それはまたの機会に・・・