カテゴリ
ダム・発電所(334)
鉱山(62)
林道(59)
隧道(117)
(19)
鉄道(61)
その他(121)

2011年11月13日

廃墟「いさまつ(伊三松)」

廃墟「いさまつ」

初めて来た時は名前も知らず、お医者さんか
と思っていました。

しかし、船着き場が有って、深沢峡を見下ろす
ことが出来て・・どう見ても観光地。

インターネットの出現により、やがて確信できる
ようになりました。
01.JPG

中には表彰状が有り、そこに書かれている
お名前より「伊三松」なのではないか、と
思ったのを思い出しました。
女性の名前が書かれていました。
02.JPG

いさまつは、このように斜面に建っていて
県道は3階の横を通っています。
3階に到着。
03.JPG

対岸から見たいさまつ。確かに3階建て。
04.JPG

いろいろな物の配置は昔とそんなに違って
いないのですが、それでも人が移動しなけ
れば動かないような小さな変化が有ります。
有名なのでそれなりに訪れる方も居るので
しょう。
05.JPG

この看板には惑わされたわけです。
最初は医院なのかと思いました。
06.JPG

3階からの入口は閉ざされていますが、
斜面を降りた2階から入ることが出来ます。
07.JPG

斜面を降りることができます。
08.JPG

このまま真っ直ぐ奥へ降りると1階です。
手前右が2階入口。
09.JPG

まず2階から。
そんなに広くは有りません。
外観通りの広さです。
10.JPG

納戸には酒瓶などが有ります。
11.JPG

部屋には寝具などが残っています。
当時どのように使用されていたのかは
なかなかわかりません。
当初は宿泊することもできたのでしょうか。
納戸の様子などを見ると、当時の民宿や
山小屋のようで、時代を感じます。
12.JPG

13.JPG

今では木が鬱蒼としていますが、手入れを
していたであろう昔はきっと素晴らしい眺め
だったに違い有りません。
14.JPG

廃墟となってからの物の方が多いか・・
15.JPG

1991年の週刊朝日。
私がここへ初めて来たのは91年だったと
思います。
そう言えばその時、誰か住んでるんじゃ
無いのか、と思わせる臭いがしていたのを
思い出しました。
二股隧道の横の洞窟にも住む人が居る
わけですので、ここの方が快適かもしれ
ません。
16.JPG

17.JPG

こ、この照明は!!
18.JPG

東芝のただの10Wの蛍光灯じゃないか、
と言っているわけではありません。
後でも出てきます。
19.JPG

配線の細さと安定器の配置に注目です。
20.JPG

蚊取り線香、これは今でも使ってますね。
21.JPG

このような窓はあまり見かけなくなりました。
特に高級に造っていなくてもちょっとアクセント
が有ると面白く見えるものです。
22.JPG

天井。目貼りしてあったのでしょうか。
23.JPG

24.JPG

続いて、3階へ上がってみます。
25.JPG

ここは2階よりさらに狭い感じです。
26.JPG

上がって座敷、と言う感じです。
3階なので道路に面しています。
手前にちょっとした土産物でも置いて、
座敷でお茶でも出来たのでしょうか。
27.JPG

ここからの眺めは、今でも抜群です。
28.JPG

丸山ダムによって湖となっている渓谷の
素晴らしい眺めです。
29.JPG

そこにかかる赤い橋。五月橋です。
今まで2回も来ておきながら、何故あそこ
へ行こうとしたことが無かったか、不思議。
30.JPG

ちょっと目を移すと・・・
かなり散らかってますね。
31.JPG

1996年1月23日の新聞が置いてありました。
32.JPG

この壁の向こうは道です。
33.JPG

この小さい部屋、その窓越にお店の人が
居たのでしょうか。
34.JPG

その小部屋の中。
35.JPG

なんだか今では見かけない物が・・・
36.JPG

炭入れてた?
37.JPG

氷を入れてた?
38.JPG

氷を運ぶのも大変だったと思います。
氷の冷蔵庫です。
39.JPG

スイス氷冷蔵器Special
銘板が有りました。
40.JPG

41.JPG

42.JPG

43.JPG

ふたたび階段を降ります。
44.JPG

階段では降りられなかったので一旦
外へ出て、ここから入ります。
45.JPG

46.JPG

1階はどのように使われていたのでしょう。
お客を入れていたにしてはちょっと・・という
雰囲気ですが、バーの雰囲気も無いわけ
ではありません。
47.JPG

48.JPG

カウンターの後ろにボトルを並べてあった・・
という雰囲気があります。
49.JPG

50.JPG

ただいま15:46 おしい。
51.JPG

机には何か小さいビンが有ります。
52.JPG

ローヤルゼリー
53.JPG

54.JPG

ここにも興味有る物が・・・
55.JPG

目覚まし時計。
56.JPG

NATIONAL PANASONIC と書かれています。
57.JPG

裏が少し開いています。
58.JPG

もう少し開けてみます。
オールトランジスタ。
59.JPG

足踏み式のミシン。
60.JPG

箪笥。
61.JPG

そして・・・ここにも有りました。
これははっきりわかります。
62.JPG

発信回路が付いているのです。
細い線はどこかに置いていたと思われる
バッテリーからの線だったわけです。
つまり、いさまつには電気が来ていなかった
のでしょう。
ここに有る物は電気を使わない物か、電池
バッテリーで動く物ばかりです。
63.JPG

1階は崩落著しく、かなり傷んでいて外が
見えてしまっています。
64.JPG

外に出て、斜面を降りていくと、
65.JPG

東屋が有ります。
66.JPG

67.JPG

68.JPG

69.JPG

さらに下に船着き場が有ります。
70.JPG

どこまでも続きそうな階段です。
71.JPG

振り返り。
72.JPG

ここから見る五月橋。
73.JPG

とても静かな風景に満足して帰りました。
74.JPG

posted by Shimneti at 04:49| Comment(6) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
犯罪行為かな
Posted by あい at 2013年04月20日 15:25
昔はまだだいぶマトモだったのですが。。。そろそろ崩落しそうですね…残念です。
Posted by さすはい at 2013年12月30日 04:52
コメントありがとうございます。
確かに、私が初めて訪れたときはまだ閉まって間もな
くかな?と思わせるものがありました。ダム工事によ
ってどうなっていくのか、いまどうなっているのか、
もとても気になります。
Posted by shimneti at 2013年12月30日 19:27
あそこって特急乗ってた時に見たんですけど近くに家?なのか廃墟にホームレスが集まってたのかドラム缶で暖をとってたのを見たんであながち遭遇してもおかしくなかったのかも…
Posted by at 2017年02月03日 05:12
本来、1991年の 『 週刊朝日 』 や1996年1月23日の新聞が屋内に存在するはずはないのです。
なぜなら、小料理屋 『 伊三松 』 の女将は1987年に病に倒れて亡くなられているからです。
何者かが不法侵入し、生活していたようですね。
聴いた話によると 『 伊三松 』 の女将が遺した功績は大きいようです。
『 伊三松 』 の存在が在ったからこそ、この辺りは繁栄したのだそうです。
小料理屋 『 伊三松 』 の家屋は 『 伊三松 』 の歴史と女将の心そのもの。
その歴史と栄華と女将の心を伝え遺すための取材を目的として中に入る者を除き、この家屋には何人たりとも侵入することは許されないと考えます。
不法侵入し、中で生活していた者は天罰が下って然るべきと考えます。

この家屋にはい何時までも残っていて欲しい。
ですが、形ある物は何時か滅びます。
人為的に荒らされること無く、ゆっくりと時間を掛けて自然に任せて土に還ってほしいと思います。
女将もそれを望んでいるでしょう。
Posted by yasutaka at 2020年10月29日 02:09
コメント有難うございます。手厳しいお言葉である、
とも感じております。
コメント頂いたように、人為的に荒らされること無く、
ゆっくりと時間を掛けて自然に任せて土に還ってほしい。
私も同じ思いであるはずなのに、「人為的に荒らされる
こと」を誘発しているのではないのか、という自問が
有ります。(と言うか、間違いなくそうなっている)
廃墟に限らず、発電所跡や鉱山跡、など、それが現役
だった頃の姿を想像し、思いを馳せる。そして、同じ
ように思う人と、その情報を共有できたら、と思って
インターネットに投稿していましたが、ここ最近では
不特定の方々が見られることによる弊害の方が大きいな
と思うようになっています。
あらためて考えて、これを書いたのが2011年。
まだ10年も経っていないのか、と。ここ最近の情報化
の進歩の早さを痛感する次第です。
Posted by shimneti at 2020年10月30日 00:06
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: