こちらは2011年3月の様子。
放流口が見えるか見えないかの違い。
この時は放流口が見えています。
2009年は水量が多かったようです。
ちょっと濁流です。もう1年以上前のことだから
どんな天気だったか覚えていません。
最近になって、あそこに行けないこともない、と言う
ことがわかった・・けどまだ行ってません。
発電所の入口は、分岐してすぐに通行でき
なくなっています。
水圧鉄管と鉄塔が並んでいます。
簡単に立ち入れそう・・だけどここからは入れません。
2009年には上は見えませんでした。
2011年3月はちょっと見えました。
発電所の脇には水神社が有ります。
なにやら新しい感じ。
御由緒。
これには興味深い事がたくさん書かれています。
愛知川水系の電源開発の歴史です。
・明治44年3月に萱尾発電所が最初に発電をしたこと。
・大正8年8月に相谷発電所が完成したこと。
・その折り従業員と設備を自然災害から守る神社創建
の機運が高まったこと。
・草野水力電気と近江水力電気が合併し、草野川第二
発電所から水神さまとして相谷発電所に奉斎されたこと。
・昭和44年永源寺ダムが出来、永源寺発電所が出来た為、
萱尾、相谷の両発電所が廃止となったこと。
う〜ん、これは・・・興味津々なのです。
これは2005年4月の休日のこと。休日出勤なのに
あまりに天気が良くて悔しいから早朝に出かけました。
(以下、当時のページ発行分元ファイルより抜粋。)
天気の良い日の出勤は健康によくないので、ちょっと
立寄です。
黄和田発電所の山向こうという配置が興味深い。
(当時はそのまま入って行けたのです。)
(当時は永源寺第二ダム建設の話が有りました。)
「横坑工事」 とか 「入坑者の心得」とか ちょっと
惹かれたが、朝から工事業者でごったがえしていて
狭い林道だから近撮どころか立ち止まることもしな
かった。
夜 必ず確認に訪れたい。永源寺第2 の話がある
からなおさら気になる工事だ。
(折戸トンネル)
このトンネル、川−トンネル−川 になっていて
とりわけ川の景色がよい。
横坑への入り口仮設階段。
夜 23:30をまわっても、相谷の新トンネル工事はCON打後
の気泡抜きをやってました。大変だな。
八風街道 相谷では新トンネル工事が大分進捗しているので、
旧はどうなるだろう。
(旧はこのようになりました。こちら)
(これは2008年9月13日)
川へ下る、それ以外のルートを降りてみます。
フェンスがあり、これ以上先へは進めません。
今回確認はしていませんが、05年の赤の鉄橋も
フェンスが出来ているかもしれません。
さらに別のルートを降りると
吊り橋が立て続けに二つ続きます。
趣のあるルートが続きます。
やがて 取水設備の建物らしきものが見えてきます。
スズメバチが居て、これ以上近づけません。
下側に回り込みます。
電柱を利用してよじ登ることにしました。
でも、ここで電池が切れるという大失態。
この先は撮れずに戻りました。
また2005年に逆戻り。
変わり果てた茨川。
川を車で渡る必要は無くなった。
土の中から屋根だけ見えていた家
もどこかへ消えた。
茨川から さらに奥に せっせと砂防用林道を
延ばす。
砂防は必要なのよ、と言わんばかりの横行ぶり。
永源寺第二ダムの話が無ければ不要だった
んじゃないの。
(と思わせるほど前は良い場所でした・・)
この場所が 第2ダムになるそうだ。
横坑を川の両サイドに70mづつ掘って
地質調査をしているらしい。
坑口に入れてもらえるよう かなり頼んだ
が 監督の権限ではダメとのことで断念。
この上側と下側に掘っている
よく見りゃ入り口が見える
2007年の茨川。
橋が無くなってる。
きれいにした代わりに、橋が無かったら渡れ
なくなったじゃないか。改悪ですな。
永源寺第二ダムの横坑は寂しく草に埋もれて
行くことでしょう。