鋭角に上流側へ左折しますと、いい感じの林の中に
あらわれるのが、藤古川ダムです。
このダムは水道用ダムです。ダムなのに便覧には載って
いません(2011年5月14日現在)。
関ヶ原はまず最初に大栗毛川からの取水を始め、次に
今須、そしてこの藤古川に取水ダムをつくりました。
昭和40年10月竣工 と書かれた碑が建っています。
ダムよりもこの浄水設備の方がとても目立っています。
関ヶ原町 藤古川浄水場 の表札がかかっています。
位置関係を把握するのに看板が便利です。
これが最も北に有る設備です。
水源池を周る道は有るようですが、ちょっと行く気が
しませんね。
堰堤上流側をなんとか・・・撮影。
これは1Fの扉に 発電機室
2Fの扉には 電気室 と書かれています。
停電を補償できる設備を備えているのだと思います。
この建物の脇に史跡遊歩道の案内が有ります。
そう言えば藤古川は幾度も戦闘の舞台となった場所
なのです。
よく知られているのは壬申の乱。
大海人皇子(天武天皇)と大友皇子が藤古川をはさんで
の戦い。
そしてここに書かれている、宇喜多秀家。関ヶ原の闘い
で、西軍石田三成側です。
足もとには 天下分け目の関ヶ原ウォーキング
行軍コースとなっています。
その道の先は?
気前よくも、藤古川ダムの堰堤上を歩けるのです!
途中、藤古川ダムの説明も有ります。
ここには昭和38年につくられたと書かれています。
そして、堰堤高さ16m。ダムなのです。
このまま歩いて行って、
ちょっと振り返ったところです。
これが天端一番高いところです。
通路でもありますが、真ん中にコンクリの蓋がかぶって
います。角落としでも入れれそうな感じになっています。
そしてこちらが取水塔でしょう。
天端から下流側を見たところ。
きれいに越流しています。
下流から眺めてみたいという思いはちょっと
くじけそうな下流の風景です。鬱蒼・・・
堰堤上を右岸側へ渡ってきました。
さらにウォーキングコースは続きます。
ここで堰堤側を振り返ったところ。
なかなか下流側、ダムの顔を見せてくれません。
・・これが限界。
なかなか古くなってきている施設たちです。
ウォーキングコースをもう少し進んで、新しくできた
バイパスへ出てきます。
それでもダムの姿は見えない。
バイパスへ出てきたところ。
バイパスに出てからもビューポイントは無し・・・。
これは季節を間違えたね。
そんなわけで、再び草の少なくなった季節にやって
きました。今度は楽してバイパス側からアプローチ
です。
全然違うわ。めっきり草は寒さにやられています。
らくらくと堰堤へ到着。
そして堰堤上から下流側を・・・
それでも厳しそうやなぁ。下流側に行くにはやはり
鬱蒼としています。
ダブル減勢になっています。
水源池はすっかり秋のよそおいです。
おお!やっぱり。出そうな雰囲気ですもん。
11月10日か。えーと今日は11月28日。もうだいぶ
経っているから大丈夫か。
秋に見ると取水設備も違った雰囲気に見えます。
熊出没の看板が貼り直されていました。
今日はこんな看板も追加されていました。
では、左岸側からアプローチ。
予想通りの行軍となりましたよ。
下流側からの姿を拝見出来そうです。
ちょっと川を歩いて行きます。
右岸の平らな場所に乗っかりました。
全体をこうスパっと見せてくれるわけにはいかなさ
そうです。
仮排水路跡のような隧道も有りました。
露出を上げて・・・
減勢の脇へはい上がってみて・・・
面白い位置にバルブ放流口があります。
現役なんでしょうか。
やはり全体を見渡せる場所は無さそうです。
ちょっと油断するとこんな感じになってしまいます。
長居は無用、退散致します。
そして本日の本当の目的はこの下流にある東海道本線に
かかる橋梁だったりします。藤古川橋梁。これも初めて見た
時は感動しました。そちらへ向かいます。
下流から堤体を見られたときは、感動物だったんでしょうね。 苦労がうかがえます。
キリ☆さま 岐阜県のダムですよ〜。
でも滋賀からかなり近い・・
下流から見る苦労。 それがわかってもらえるのは
キリ☆さまくらいですよ。じゃなくて、キリ☆さま
が私をこうさせたんですよ〜。