この近くの山を登っていくと、
万里の長柵みたいなのが出てきて、
素晴らしい眺めとなります。
そこからは、この交通の要衝とともに、
鉄道の要衝でもある東海道本線が見えています。
このまま列車が進んでくると、列車が山の中に隠れる
という、列車壕が戦時中、超機密事項で大まじめに
作られようとしていたのです。
平和ぼけした私に戦争について考えさせてくれる遺構
の一つです。
この岩脇山に2本掘られたということです。
この山全部空洞になってもどれくらいの列車が
収納されるのでしょう。
一箇所はここ。
振り返ると東海道本線に貨物が走っていました。
当時は線路がこっちに向かって取り付いていた
のでしょう。
殆ど埋もれている感じです。
2008年2月のことでした。
フェンスの隙間から・・ゴミだらけ。
もう一箇所もすぐそばにあります。
やはり中はゴミだらけ。
さて、その列車壕跡に久しぶりに訪れてみました。
徐々に近づいて行きます。
なんだか以前と違って、穴がくっきりと
見えますね。
右の穴からアプローチ。
素晴らしい!
きれいに整備されていました。
これは右側の坑口。
ちゃんと案内板も出来ていました。
この右側の坑口は130mで貫通
と有りました。
あのゴミの山は何処へ?
地元の方々がきれいに整備をされたのだ
そうです。
大変だったことでしょう。
フェンスの隙間から・・・
ISOガン上げの望遠で・・・
なんと!貫通していたのですね!
知らなかった・・・
反対側も見に行かないとね。
その左には神様が祀ってあります。
そして左側の坑口。
こちらは52m止まりとのこと。
フェンスの隙間から・・・
望遠で。
突き当たりは見えません。
岩脇山山頂もおじゃましてから、
反対側坑口も見に行きました。
こちらは貫通している側の坑口反対側です。
ちょっと埋もれてしまっているのですね。
でも十分斜面を降りていける隙間が有ります。
もう一方の貫通していない52mの方は?
激ヤブの中に有りましたよ。
こちらからも掘られたのですね。
近寄りがたし・・でした。
米原は、敦賀に行く汽車に乗ったような記憶があります。駅そばも薄い記憶です。
ネットで検索したら、地元の方々が大量のゴミを廃棄して整備されたようです。新聞記事http://www.chunichi.co.jp/article/feature/railway/list/200908/CK2009080702000271.html
敗戦近い頃は、艦載機が飛んできて、機銃照射されたことがあちこちであったようで、小学校低学年の頃は攻撃された事務所跡の土を掘ると機銃弾がでてくるので、それを掘っていた友達がいました。
日本本土が米国に攻撃されていたなんて知らない人も増えてきたでしょうね。
そういえば、田舎にmade in occupied Japan (占領下の日本で製造)の皿がありました。 笑
米原は駅とその周辺が変化を遂げていますが現在でも中山道、北国街道の分かれ道という雰囲気を持った場所ですね。
そんな交通の要衝だったからこそ戦時中には狙われたのかもしれません。
300tもゴミが有ったとは・・
戦争の痛々しい歴史を本当に封印しようとしたのかもしれないと思いました。