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2010年03月12日

第一・第二発電所

2年ぶりにちょっと発電所も見ておこうと思いました。
あの四角い電柱の林道を進みます。
まず第二の方。
01.JPG

例のように取水堰堤の横を通って行きます。
第一への取水でしょうね。
02.JPG

03.JPG

もうちょっと進むと・・・見えてきました・・・
04.JPG

けど、ちょっと様子が変です。
壁画が・・・
05.JPG

前回は2008年5月18日に来ました。

→前回はこちら

もしあの時、この壁画が描かれていたら・・・
今日再訪することは無かったでしょうね。
残念です。
かつては隣の山向こうの鉱山へ送る電気の為に
働いてきた発電所です。
その栄華を今は奥山でひっそりと伝え続ける・・・
とてもいい雰囲気だったのです。
それが・・・
06.JPG

しかしこれ、うまいですよね。
それと、あんな高い位置にどうやって描いたの
でしょう。
かなり本気じゃないと描けません。
感心してる場合じゃありません。
07.JPG

とりあえずもうちょっと車を進めて
どうしようも無いところまで来ました。
08.JPG

まだ道は続きますが・・・
09.JPG

ここに車を停めて、ちょっと戻ったところに
有ります。
10.JPG

こちらから見ると、壁画も見えず以前の感じ
です。
11.JPG

12.JPG

たぶん正規の入口だったと思われる水圧鉄管の
上の階段。
13.JPG

そして水圧鉄管は林道地面下を通り、反対側
斜面を上がっていきます。
14.JPG

15.JPG

そして・・その先には・・・
16.JPG

サージタンクらしきのが見えました。
17.JPG

こっちも以前来たことのある第一の方です。
18.JPG

道から、対岸にある建家を撮りました。
19.JPG

→以前の第一はこちら

→以前の第二はこちら

posted by Shimneti at 02:11| Comment(9) | ダム・発電所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして、いつも楽しく拝見させて頂いております。
時第二水力発電所についてなんですが、鉄管が山頂へ向け上って、サージタンクを通った先なのですが、薮谷へ向けて第一隧道が通って、第二隧道、余水路、薮谷取水口へと続いているようなのですが、第一隧道(幾利谷側)は確認が取れたのですが、その先はあるのでしょうか??
ちなみにサージタンク北へ進むと水門があって、余水路?となっています。その中に第一隧道坑口があって、流水しているのは確認しました。
もし、ご機会がございましたら、お調べください。
それと、白石工業は昭和35年に藤原町河内川から取水し、泗水工場の電源へと山口発電所(ペルトン式水車)?を作ろうとしていましたが、作れたのでしょうか?
ブログの更新楽しみにしております!
Posted by Mineko at 2012年12月05日 20:29


Minekoさま コメントいただきありがとうございます。

まことに勝手な記録で、何かのたしになるような情報
はいっさい発信できていない自信だけはあります。
頂いたコメントが質問形ですけど、私にとりましては
全部新たなる重要情報ですよ。
行ってみたい病にひびくものがありますね。

・藪谷に向けて第一隧道が有る。
 第一隧道(幾利谷側)は確認が取れた?!
 (見に行かれたということでしょうか。)
・サージタンク北に水門!
・余水路の中に第一隧道坑口が有る!!
・その先に第二隧道が有る!
・と言うことは取水口が藪谷に有る!

なんて魅力的な情報!!

河内谷川にも気になる場所が有るし、行ってみたい
ですね。行けてしまいそうな良い季節にコメント頂いて
いるし・・・

その前にMinekoさまどこかに情報公開されているなら
お教え願います〜!!

Posted by shimneti at 2012年12月05日 23:26
お返事大変遅くなって申し訳ありません
上記のご質問にお答えする前に、一つお断りをさせて頂きます
白石工業さんの現在進行形の所有なため、出来ればメールでお返事頂けると助かります。
それでは隧道は二つあり、第一、第二隧道と水路橋を使い、藪谷、東藪谷、幾利谷へと導水されていました
それぞれの隧道抗口には余水路と余水口が設けられ、サージング作用を緩和してありました。
写真で鉄管の上部にあったのがサージタンクですね。
また、第二発電所は夏場の渇水期より冬場の渇水期の水位変動が大きかったため、発電機が停止することが多々ありました。会社は打開策として藪谷の取水口を主取水口とし、副取水口として東藪谷、幾利谷取水口を設け、隧道抗口より注水を行っていました。
また、当初の発電所設計計画ではフランシス水車を使用する予定でしたが、渇水により、動作できないため、急遽、ペルトン水車二機に切り替えられました。また、会社は設計計画を昭和15年に打ち出しましたが、戦争の混乱によって、20年経った昭和30年くらい?だったかな?に建設開始となりました。しかし、オイルショックの煽りを受け、昭和48年の桑名工場閉山と伴い、発電所の送電も停止されました。 第一発電所も同じです

送電停止後は従業員の方によって20年あまり管理されていましたが、最近の豪雨、台風によって手付かずとなっているのが現状です。


これ以上先は言えませんのでメールにてご連絡をお願い致します。
Posted by Mineko at 2013年03月14日 03:31
Mineko様、 毎度ありがとうございます。

いろいろ言えない情報もお有りのようで・・・

でも私としましては、謎に思っていたことがちょっと
解決したような気がしております。

戦前の建物で、昭和31年に停止したと思い込んでい
たのですが、電柱は昭和33年になっているし、昭和
31年12月新調、と書かれた帳面が有ったし、ブリ
ッジの整流器は昭和42年になっているわ、で、少々
混乱していたのですが、違っていたわけですね。

ただ発電機はペルトン二機ではなく、フランシス一機
だったと思うのですが、肝心の発電機の写真がどうも
撮り損ねていてあまり有りません。残念です。

最近はあまり管理されなくなっているのでしょうか。
鉱山の方も解体が進んでしまいましたし・・・
 
 
Posted by shimneti at 2013年03月15日 00:39
もし、宜しければあの一帯の発電所をご案内致しましょうか?
他にも多数ありますので・・・
Posted by Mineko at 2013年03月15日 15:00
Mineko様 ありがとうございます。

多数ある!!機会が有れば是非お願いします。

今年は自分でも驚くほどどこも行けてません。
 
 
Posted by shimneti at 2013年03月16日 10:07
Shimneti様
三重県の発電所、発電所跡地の調査を今月の何処かで行おうと思っております☆
宜しければ、参加しませんか?
Posted by Mineko at 2013年03月16日 12:51
Mineko様 三重県の発電所跡! いいですねぇ。
どっちの方面ですか?

私今日は滋賀にいますが、平日は三重にいます。

異動のシーズンで送別会目白押しで二日酔いが
気になりますが、20日に行かれるならおとも
させて頂きたく。勝手ものですが、なるべく迷
惑かけないようにします。

話すだけ携帯しか持ってないので、三重に戻っ
てから伝書鳩飛ばします〜。
よろしくお願いします。
 
 
Posted by shimneti at 2013年03月17日 11:30
20日ですね☆
了解しました!
鳩さん待ってマース!
Posted by Mineko at 2013年03月18日 21:09
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