去年08年3月に竣工し、7月開通しました。
従って、今までの長野トンネルは旧道となって
しまいました。
さらにこの深堀割の中に明治時代の総切石の
ポータルを持つ旧々長野隧道があります。
昨年は時間が無く断念しましたが、そうこうしている
うちに新長野トンネルが開通してしまい、「旧々」と
なってしまったわけです。
まずアプローチの簡単そうな西側から探し始めます。
林の間にそれらしき道をみつけました。
しばらくすると、祠へ向けて砂防を渡る鉄橋
が出てきます。
砂防の反対側を見てみると・・・それらしきポータルが
見えています。
砂防によって埋まってしまったのかな?
その横にはこんな素晴らしい樋も有ります。
これも大半が埋まっているのでしょう。
隙間を覗いてみると、すぐのところでふさがっていて
行けそうにはありません。
振り返ってみると、昔の道に砂防が付いた
という感じになっています。
しばらくすると、ここを私より少し若い同業者が
歩いてきました。この道10年とのことでした。
この後、私と同じく東側坑口に向かうとのことです。
あの交通量を誇った長野トンネルも、すでに
廃な雰囲気になっています。
新長野トンネルを走り抜けて、東側へ向かいます。
旧長野トンネルの東側坑口です。
深い堀割のこの上に旧々長野隧道があります。
殆どの方々は右側の竹藪からアプローチされるよう
ですが、(同業者も右の竹藪を登って行った)私は
あえて左側から、トンネル横をクライムしました。
そして帰りにはもっと良い登り道を見つけたのです。
まずはこの左側のヤブを突進していきます。
トンネル横を登って行きます。
なかなかスリル有る高度差になって
きました。
やがて手がふさがり、写真を撮る余裕が
無くなったところで登り切ります。
そして・・・
感動的な姿です。
総切石のポータル。
素晴らしく大きい要石
迫石の放射状のデザイン
大きいピラスター
感動してしばらく見とれていました。
フェンスが出来て中に入る事ができませんが、
中もびっしりと石が積まれています。
明治18年6月15日
総切石で 全て人力で4年7ヶ月をかけて
造られました。
帰り、こんな道を見つけました。
登りと同じ左側の斜面です。
おやおや、こんな簡単に降りられるルートを
見つけてしまいました。
値打ち半減という感じです。
みんながアプローチする右側斜面も、相当な
竹藪ですので、正規ではないのでしょう。
これが、地元の林業の方なら知っているだろう
当たり前のルートだったのです。
ちゃんと「旧」長野トンネルになっています。
西側も東側も どちらの坑口も扁額が無くなっていると
思ったら、東側の道路沿いに展示されていました。
あの立派な坑口は廃墟となり、扁額だけ大切に扱われて
いることに少々違和感がありますね。
私もトンネル・廃道大好きでバイクで
いろいろとめぐっています。
明治長野トンネルの前のフェンスですが、
あまりにも見た目がよくないために後日内部に
後退して設置してくれたみたいですよ。
御来訪ありがとうございます。
素晴らしいです。動画の迫力に感動しました。
本当に楽しいです。才能ですね。
激しいのと穏やかなのが有って・・・