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2024年01月21日

那智勝浦湯川の温泉跡 亀喜荘

私のところに情報を持ってきてくれる人は、もちろん
それほど多いわけではない。けど、稀にくれる方がおられる。
そのような奇特な方は決まって、御自身もそういう趣味の
お有りの方である。
・・・と言うような当たり前のことはどうでもよい。
今回の情報を持ってきてくれたのは、前回も登場した
A先輩である。この方はその筋の方では全く無し。
でもそんな人からの情報のほうが案外新鮮だったりする
ものであるよ。
最近のA先輩は釣りにはまっていて、いろんな穴場に出かけて
行ってるらしい。そんな折、目の前に何かの跡地みたいなの
が有る、と言って、ぼやけた写真を見せてくれた。
「そんなぼやけたの見せられたって・・」、と苦情を申し立てたら
じゃぁ、と言って、また行かれた時に撮って来てくれたのが、
この写真、というわけである。
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よしよし、と言うわけで早速、国土地理院の年代別写真で見て
みよう、ということになった。
場所はここである。あのゆかし潟のある温泉地だ。
ゆかし潟と言えば和歌山出身の詩人佐藤春夫である。
私の祖母はもう亡くなったが、作家で佐藤春夫の弟子でもあった
から、なんだかゆかし潟にゆかりを感じる。

それは置いておいて、温泉マークがあるよ!!
温泉跡か?  でもルートが無いよ。橋でもかかっていたか。
では写真を見てみよう。
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2017年の航空写真
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2014年の航空写真
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2012年の航空写真
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2007年の航空写真
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結局何かわからん。橋の跡らしきものも無し。
現地に赴きたし。
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10月の平日にやってきた。久しぶりの外出だ。遠出というほどでは
無いが。
最近は平日は仕事だし、休日は一人暮らしの母親の面倒をみている。
平日に休みを取って出かけるのがせいぜい、と言うところだ。

ま、そんなわけで、あっさりと現地。私にしては珍しく高速を使った。
ランクル70で高速など、何の面白味も無いが、まぁ仕方ない。

軽トラが停まっている。
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軽トラが無い写真だって有るんだぜ! だけど、あの軽トラが重要なんだ。
軽トラにサーフボードを積んでいるあんちゃんが居た。。ように見えた。
私は人が居たら、出来るだけ居なくなるのを待つか、かなり距離を置いて
探索する習性がある。まあコメントで犯罪の記録、と言ってくる方も居られる
くらいだから当然か。
もちろんこの日も軽トラとはできるだけ離れた埠頭から探索を始めた。
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テトラの上から探索、ということで。
きっとA先輩はここで釣りをしてたんだろうな。
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テトラからの風景である。
A先輩から聞いていたより、近く感じた。
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どうだろう。これは船着き場、と考えてもいいんじゃないか。
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ここが目立っているが、全体的に建物が有ったとみてもいい
感じである。
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軽トラサーファーのあんちゃんは、もう荷物を積み終わった様子だが、
姿は見えない。
どこに行ったかな、と思ったら、突然現れてにこやかに話かけてきた。
あんちゃんと思っていたが、私よりも年輩のかっこいいおじさんだった。
もう還暦だ、と言っていたから私より数歳先輩だ。
本宮の生まれで、小さい頃こちらに移り住み、この海で生涯の趣味で
あるサーフィンをやり続けている、のだと言う。いや、年を取って
サーフィンはしんどくなったので、たしかサップと言っていたと思うが
それをやっているのだそうだ。私にはそのサップとサーフィンの違いは
わからず、軽トラの荷物はサーフボードにしか見えなかったが。。。
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まぁその話も面白かったが、私が聞くより先に、おじさんの方から件の話
が有った。
「あんた、あのホテル跡、撮ってたやろ?」
「ん?ホテル跡?やっぱりホテル跡なん?」
「わしなぁ。あんたが釣り人やったら、話しかけてへん。
どう見てもあれ撮ってる、おもたから、絶対話しかけよう、おもてたんや。
「へぇ、なんで?」
うん・・・、でも結局、なんでかはわからんかった。
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「わしが小さい頃、親父に連れられて泊まったことあんのや。
でもな、もうわしが高校生の頃にはすでに廃業しとった。
ごく最近までそのまま有ったんやで。でも最近取り壊された。」

どうやって取り壊したのか、とか、ホテルの名前とか、いろいろ
聞きたかったが、おじさんの関係無い話を聞いているのもとても
楽しいひとときとなった。
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おじさんもホテル跡を撮っている私に話しかけたので、もう帰って行った。
私もホテル跡と聞けて、もうすでに満足していた。
線路を渡れば、あそこまで行けるのか、などと思いながら、近くから撮影
をした。
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なるほど、そうやって言われると、あそこにホテルが有ったのか、と思わせる
風景である。
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入り江になっているところにも階段が見えている。ここも船着き場か。
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奥にはボートがつないであった。
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そう言えば、重要証言、ボートで行った、と言われていたな。
なるほど。今もボートで行っている人が居るのだろうか。
それよりも、あのボートにはどうやって行くんだ?
やっぱり線路を渡るのか。
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この地図にも建物表記が有った。
そうだ、湯川駅に行ってみよう、・・と思いながら、もう私は別の
ところに行きかけていた。
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とは言え、ちょっと散歩。
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湯川ラーメン橋と書かれていた。
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線路の向こうから、件のホテル跡を眺める。
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ここにホテルが有る風景を思い浮かべながら。
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でも私は別のところに遊びに出かけてしまって、結局湯川駅には
次の朝早くに来ることになった。朝7時頃だ。
誰も居ない。
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昨日は平日だったが、今朝は休日だ。停まっているのは私の
車のみ。
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貸し切りを良いことに、あちこち撮影して回る不審者ぶりである。
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しかしながら、大変大きな収穫が有った。
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それはこれだ。
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湯川駅開業八十周年・・か。
開業が1935年、と言うことは、この案内は2015年に出来たもの
なのか。
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中でも、これ、電車の後ろに見えているのは件のホテルでしょう。
これをネットで調べたら、亀喜荘、という名前であることがわかった。
その確証が取れたわけではないが、それでもネットってすごいな。
また持っている廃墟の本にもその記事が出ていた、ということにも
気づいた。亀喜荘で間違いなかろう。しかしながら読み方はわからない。
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ホームに出てきて、ホテル方面を眺めた。
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ホームの端っこ。こんなところまで来るやつは居ない
とばかりの雰囲気ではあるが、除草はされている。
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あそこにホテルが見れた時に訪れたかったものだ。
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ついでにゆかし潟を少し散歩した。
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ここから妙法山の卍が見えるはずだが、いずこだ。
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きっとあれだな。望遠レンズを。
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ゆかりの佐藤春夫と高浜虚子の歌碑を見て帰った。
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久しぶりの外出だったが、もちろんここだけではなくあちこち
回った。それはまた別の機会に。
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posted by Shimneti at 04:02| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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